小中学生は「靖国訪問禁止」 "亡霊通達"今も
靖国問題。
何年も前から議論されているが、結局日本国として、日本の戦没者(英霊)に対して敬意を払うと言うことが、是か非かも結論が出せないでいる。
日本は昭和20年に終戦を迎えた。
今から63年前のことだ。
私は勿論戦後に生まれた世代であるし、直接その時代のことを知っているわけではない。
だが、戦争というものにおける犠牲というものは、計り知れないものがあるということは理解できる。
日本は当時、国家総動員令を発動し、非戦闘員も戦争での勝利のために、あらゆる犠牲を払わなければならなかった。
しかし、私たちが普通に暮らしているこの豊かな現代に生きる人間と、その当時の人間は何も違わぬ生身の人間だった。
家族がいて、大切なものがそれぞれの人間にあり、そして幸せな未来を築こうと必死であったはずなのだ。
ところが、かの戦争はそういった"普通人たち"の、"普通に生きる権利"すら奪ってしまった。
日本が戦争に勝ち、日本国民が幸せになるため、未来が豊かになるために、多くの兵隊は命を賭けて戦った。
特攻機に乗って連合軍の艦隊に突撃してゆく瞬間、
「かあちゃん!」
と叫んで散った。
未来のある若者が、そうやって沢山散っていった。
日本が周辺諸国に対して行った行為。これに対して周辺諸国がその象徴とも言うべき「靖国」の参拝に反対することは、感情論としては理解できる。
しかし、日本国民が近代日本の成り立ちを知り、この平和で豊かな生活がすざまじい犠牲の上に成り立っているということを、知らずに済んでいい筈がないと私は思う。
私が小学生の頃、「靖国」というところがどんな意味を持っているかも知らなかったし、授業でも習わなかった。
靖国に関する知識や考えは、もっと大人になってから知ったことだ。
ナショナリズムは、ともすると諸外国へのいびつなアピールとなり、摩擦の原因にもなるが、だからといって、日本国民が過去の日本人の魂の叫びに対して、考えを及ぼさないのは、それ以上に悲しいことだ。
そして忘れてはならないのは、非戦闘員も含め日本国民に多大な犠牲と痛手を負わせたのは、紛れもなく時の日本政府であり、軍部であったということ。
そして、感情論と大和魂を振りかざし、死ななくてもいい若い命を死に追いやったA級戦犯が、靖国には合祀されていること。
私は、どうしてもこのことについて納得がいかない。
原爆を2発も落とされなければ戦争を止めなかった日本。
この事実について、もっときちんと、沢山の国民が議論をして欲しいと思う。
そうしなければ、「かあちゃん!」と叫んで突撃していった彼らの無念は永遠に晴れないではないか。