裁判員制度と哲学

裁判員制度が開始されて、暫く経つ。そのうち、極刑を裁判員が下す時も来るのだろう。
だが、裁判員制度については、私は否定的だ。

裁判員制度の導入にあたって、国は「一般市民の感覚を裁判に取り入れる」といった趣旨の説明をしたのは記憶に新しい。

だが、この論理には一番重要なモノが欠けている。
それはこの国の将来をどのような姿にしたいのかという「思想」であり、「哲学」だ。

「法」というのは、実に重い。いや、重くなければならない。なぜなら法治国家としてあらゆるものに優先され、尊重されるべきものが「法」であるからだ。
「法」を軽んじられるようであれば、当然ながら法治国家は成り立たず、即ち民主主義国家も成り立たない。

普通の感覚では、「人を裁く」ということには少なからず抵抗があるのが人間というものである。
人はあくまで被告人と同じ人間であって、「神」ではない。
それが罪人であるという理由だけで簡単に人が人を裁くべきではない。
本来、「神」がいてくれれば神に裁いてくれれば話が早いのだが、都合良く神様がいてくれるわけではないわけで、仕方なく人が国家の名を借りて罪人を裁いているにすぎない。

ところがだ。
不安を持つ裁判員に対して、「法律上わからないことがあったら、弁護士が立ち会うのでその都度聞けば教えてくれるので、不安を持つ必要はない。裁判員は国民の一般的な感覚を裁判に取り入れてほしい」という説明を国は行ってきた。
これはとんでもない話だ。

実に馬鹿げた話だが、裁判所は「法」で人を裁く場所である。
法は人の前に平等という崇高な理念の名のもとに、司法は国家の頂点に成立している。
そこで人を裁こうとするときに、裁く側の人間が「法律に明るくない」でいいはずがない。
いくら弁護士が助言を行うにしても、「法律を知る」ことと、「法を理解する」ことではその中身が全く違ってくる。

仮に、裁判員制度を今後も運用するのであれば、少なくとも実際の法廷に立つ前に、数ヶ月間の研修と試験くらいは実施すべきであり、当然ながら適性も判断する必要があると思う。
そこまでしても裁判に参加したいという意思のあるものだけが法廷に立つべきなのであって、司法が裁判員の生活事情に妥協して原則をなし崩しにしていいはずがないのだ。

*********************

ところで、極刑、つまり死刑制度が存続する先進国は珍しいのだという。日本はその珍しい国の一つである。

死刑の存廃についてはずいぶんと昔から議論されてきた。最近の世論調査では存続派が80%を超えるのだという。
私個人は、というと、死刑制度に関しては将来的には廃止すべきと思っている。
先述したように、人が「神」にはなれない以上、どんな形であれ人の命を奪うことは許されざるべきものであり、罪の重さというのは「物」ではない。人を殺した=死刑にすべきというのは報復行為でしかない。

被害者感情に配慮する。これも昔から言われてきた。確かに自分の家族なり、大切な人が殺されたり、それに準じた被害を受ければ「殺してやりたい」と思うだろう。これは人間として正常な反応なのだと思う。

だが、、、
たとえ加害者が死刑執行されたとしても、被害者は救われないのである。
多少、憎しみが相殺されるかもしれないが、結局はそれだけである。

被害者を救う、ただ一つの方法は、「加害者の心からの贖罪と償い」でしかない。

死刑廃止の前提には、この「加害者の心からの贖罪と償い」が確実に実行されるような社会である必要がある。

あらゆる犯罪者を更生させるための施設やシステム、被害者を救済するための仕組みや法整備、それを前提とした司法の機能が必要だ。

残念ながら、今現在の日本は、そこまで進んだ民主化された世の中に成熟していない。
犯罪が年々凶悪になるに従い、だからどうしても死刑存続論が大勢を占めるようになる。

近頃の政治家の動きをみると、死刑廃止は次の世紀までは無理だろうな、と感じてしまうのはむなしい限りだ。

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1975年7月東京でデビュー。小学校の頃から一人で放浪する癖があり、電車を子供料金で乗り継いでは運転士さんと知り合いになったりしていた過去を持つ。写真家を目指したり、音楽の道に入り込んだり、挙げ句の果てにはIT業界に浸食して道を誤り、今は30年住み慣れた東京を離れ、福井で生活している変わり者。ちなみに今でも乗り物好きのデジタルアイテム好き犬好き旅好きの自称ITエンジニア。

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このページは、ちゃぼpapaが2010年5月26日 19:40に書いたブログ記事です。

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